大震災からの復興の兆し

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先週の土曜日(28日)、東京丸の内にある「関西大学東京センター」で開催された
『「地方の時代」映像祭2015』の「グランプリ受賞作品を語る会」に参加してきました。
参加といっても上映された作品を見、そのあとの意見交換会を傍聴してきただけなのですが・・・。

今年の4月に国立劇場で 「みちのくの鬼」 を見たご縁です。
                 (カテゴリ・東日本大震災参)



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「ウォッチン!プラスSP 海風に舞う 石巻・十三浜  神楽に生きる人々」
                            (東北放送…51分)

震災による大きな被害を受けた石巻市十三浜の大室地区。
15年も前に諸事情により途絶えていた「神楽」を震災をきっかけに復活。
その様子を3年の歳月をかけて撮った記録映画です。
国立劇場で神楽を上演した時の映像もありました。

さすがグランプリ受賞作品にふさわしく
極々自然に練習風景が描かれていて素直に心に響く作品でした。

神楽の柱だった長老をはじめ津波に流されていまだ行方の分からない方々がいます。
行方の分からないその方たちの写っている昔の練習風景なども挿入され涙を禁じ得ませんでした。

漁業を生業とする人々にとっての神楽の意味。
家族代々受け継がれる神楽。
6歳の男児の「死ぬまでかな」という答えが心にしみいりました。
「いつまで神楽をやっていくの?」という質問に対しての答えでした。



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神楽の面も衣装もすべて流失し一からの出発。
神楽の面を打ってくれた人、昔の銘仙という着物地を探し求めそれを衣装に作った人・・・
メンバーは皆、現住まいから時間をかけて十三浜まで通って連習。

子どもたちは家の中でおじいちゃんやお父さんが神楽を舞うのを見て育ち
自然と自分たちも舞うようになったとのこと。

教えは厳しく、でも愛情にあふれて子供たちも喜々として練習。

後半は質疑応答の時間。
映像に携わったプロデューサー、ディレクター、神楽保存会の会長とメンバーの女性。
民俗研究家のY氏、元NHK放送総局長K氏たちが質問を受けます。

会場には映像関係の仕事をしている方たちや勉強中の学生たちが大勢参加。
熱心に質問をしていました。

最後に保存会の会長が地元に伝わる唄をうたってくださいました。
さすが舞台で鍛え上げた素晴らしい声でした。

今でも十三浜の人々は散りじりに、故郷の再生はできていません。
でも神楽を上演するということで浜には1000人もの人々が集まったとのこと。

故郷を失った人々が若者たちを中心に神楽を柱にもう一度コミュニティーを取り戻そうとしている姿。
生きる力を見失いかけている人々にとって光になるのではないか。
これが制作意図とのことでした。














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みちのくの鬼

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東京駅丸の内南口です。
昨日11日、新幹線で上京する人たちや
横浜からやってくる人たちとここで待ち合わせ。
総勢5人。

丸ビル35階で昼食。
お久しぶりとまずはシャンパンで乾杯^^。




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この日の目的は国立劇場、小劇場。
満員御礼の張り紙。




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演目は「東北の芸能Ⅵ~みちのくのオニ~」
東日本大震災復興支援として開催。

宮城県石巻市・・・大室南部神楽 田村三代
岩手県北上市…鬼剣舞(おにけんばい)
岩手県野田村・・・野田村のなもみ
秋田県男鹿市・・・男鹿のナマハゲ
山形県鶴岡市・・・黒川能 黒塚

詳しい説明は省略しますが
それぞれに退治される鬼、災いを封じる鬼、福を呼ぶ鬼、
安達原の鬼女伝説と陸奥に伝わる様々な鬼の姿。

迫力ある舞台、時には笑いが・・・
大震災から4年、復興にはまだまだ程遠い人々もいます。
それでも被災地の(東北に限らずですが)
力強い復興の足音が聞こえてくるようなそんな舞台でした。

忘れないために

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今日2回目の更新です。

帰宅したら東日本大震災後、あしなが育英会から3回目の年賀状が届いていました。
高校3年生の男子からです。

軽音学部に入りたくさんの人と知り合えたこと。
それを心の糧に高校を卒業したら社会人として働くこと。
きっぱりとした決意あるお便りでした。

大学に行きたくなかったのだろうか。
行きたくても事情が許さなかったのだろうか。
でも本人次第ですね。
きっと素晴らしい人になることでしょう。


詩は同じく高校3年生。
今まで1度も人生を狂わせるような災害や事故に遭ったこともなく
ぬくぬくと過ごしている私にはとても面はゆく当てはまらないのですが
忘れないために・・・。

忘れないために

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新年に「あしなが育英会」から去年に続いて2回目の年賀状が届きました。
大学3年生のお嬢さんからです。

表には
昨年の春から通信制の大学に編入し、母親の負担を減らす為にアルバイトをしながら勉学に励んでいる。
将来の夢、それをかなえるために何をしているかなどが書かれていました。
メリハリのある美しい文字からも真面目でやさしい人柄がうかがえるようでした。

東日本大震災後、未だに心身ともに辛く厳しい生活を強いられている方たちがたくさんいらっしゃることを
私が忘れないために。

写真(ハガキ)の詩は高校2年生のものです。

私の中の3、11

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時計が午前0時を回りました。3月11日です。

3月11日が近づくにつれテレビも新聞も毎日のようにあの日を再現するようになりました。
事実を事実として受けとめることは大事ですが、それでもまだ受け入れられない人たちもいることでしょう。
辛い日々だと思います。

一年前のこの日、私はたまたま東京滞在中で世田谷のマンションの最上階9階にいました。
立つことも出来ない揺れの中で「家族と会えないままひとりここで死ぬのかな」・・・そんなことも頭をよぎりました。

この写真は「地震計」として今も揺れを確認するのに便利な中国のお土産。(カテゴリ 東日本大震災参)

横浜の自宅に戻ることが出来なくなってようやくここにたどり着いた姪が「目玉親父」と名づけました。
揺れるたびこれを見て「大きい」だの「まだ揺れている」だの・・・。

この「目玉親父」を見るたびあの日の恐ろしい揺れを思います。

原発事故・・・・・・・・・・・・。
「絆」という言葉があまりにも安易に使われ、その割には都合の悪いことにはエゴ丸出し。恥ずかしいことです。

例えば、現地でボランティアに精出す人たち、一方で福島から来たというだけで平気で子供たちを差別する大人たち。
この資質の違いは何だろう。
それなりに教育も経験もあるはずの大人たちがなぜ風評被害のお先棒を担ぐようなまねをしてしまうのか。

もし今自分に小さな子供がいたら自分の子供を守ろうとそういう気持ち(差別する)になるだろうか。
何度も自分の胸に問うてみます。

3、11は何もなかった日々には二度と戻れない、頭から離れない重い現実です。


           *いつもご訪問有難うございます。今日のコメント欄閉じにさせていただきます。